【シリーズ・歴史上の人物に京都で会いたい】紫式部に会いたい!
皆さんこんにちは!「京都が足りない。」中の人です。京都に関する情報を配信するというブログを始めてみたのですが、先の記事で10記事に到達いたしました!まだまだどんな内容でいくか試行錯誤中ですが、テーマを決めて長く続けていけるような「シリーズもの」もやってみたいなと。そこで今回は試験的なものとして「歴史上の人物に京都で会いたい!」という企画をやってみます。今回取り上げる人物は平安時代の女流作家・紫式部です!
■紫式部の人物アラカルト
紫式部は平安時代の貴族で、歌人・女流作家として活躍しました。一般的には『源氏物語』の作者として国内外問わず広く知られていますね。しかし、小説家というだけでなく和歌詠みにも才能があったようで、女流三十六歌仙などにも選ばれています。有名なのはあの歌。
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな
「あ、この和歌知ってる!」と思った方もいるでしょう。小倉百人一首に収められている歌です(中学生のとき覚えさせられたなあ〜^^;)。上画像(出典:wikipedia)の紫式部歌碑は京都市の廬山寺に存在し、この歌が刻まれています。
文学の才能に恵まれた紫式部でしたが、それは幼いときよりらしく、男の子でなかったことが父・藤原為時にとっては残念であったとか。ただ、そんな紫式部にはいまだ多くの謎が残っています。 生没年がはっきりしませんし、本名もまだわかっていません(「式部」は父の藤原為時が式部省の官僚・式部大丞だったことから来ています。紫式部という名そのものは後世の人が呼び出したらしいです)。藤原香子(たかこ・こうし)という説もありますが、はてさて。
代表作『源氏物語』は世界最古の長編物語の1つと言われますが、内容は宮中の男女の織りなす恋愛物語。多分に式部自身が見聞したことがもとになって書かれているものと思われます。では、執筆中、式部はどういう境遇であったか。当時の式部は一条天皇の中宮(天皇の妻)・彰子の女房(女性の使用人)として宮仕えをしていました。宮中のドロドロした部分をよく聞く立場であったかもしれません。式部自身、彰子の父である藤原道長と男女の関係であったという説もあります。
また、執筆は当時、彼女が住んでいた場所で行われていたとするのが普通でしょう。先ほど紹介した廬山寺は紫式部が住んでいたとされる堤第のあった場所です。廬山寺には「源氏物語執筆の地 紫式部邸址」という札が掲げられています。当時の平安京の外に位置しますが、名門貴族の邸宅などが近くにあったようです。
●廬山寺(ろざんじ)
先ほど紹介した場所です。「紫式部邸址」の顕彰碑がたてられた源氏庭などがあります。
出町柳駅から歩いて10分ほど。紫式部ゆかりの寺として有名な廬山寺。こちらの境内には御土居の跡が残されています。土が高く積まれており、かつてここに御土居があったことが伺えます
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— 京阪電車【沿線おでかけ情報】(公式) (@okeihan_net) 2015, 1月 10
●上賀茂神社(片岡社)
紫式部が参拝していたといわれる片岡社。紫式部が恋愛について祈ったということから、恋愛成就を願って多くの人が訪れるとか。式部の歌碑もあります。
下鴨神社と同じく強力なパワースポットの上賀茂神社。風水的には今年は特に御利益があるとか。こちらには厄除開運を祈願。紫式部も恋を願ったという片岡社にはハート紫式部の絵馬があふれていました。みんなの願いが叶いますように! pic.twitter.com/tXG4bbnOwv
— tomomi (@melolotm) 2015, 1月 27
片岡社の紫式部ちゃん。 pic.twitter.com/cVU3tBZZzz
— とをん (@sygyq729) 2015, 1月 25
上賀茂神社 片岡社 縁結びの神さま。縁結びというより大きな愛情を感じます。暖かいエネルギー。そんなエネルギーを持っていれば、よいご縁がある、という事でしょう。 http://t.co/IaCU4MaDRr pic.twitter.com/BWOrPPSrWU
— 辰巳の辻占 (@divinus_jp) 2015, 1月 15
●紫式部墓
紫式部墓と伝えられている墳丘が、京都市内(北区)にあります。すぐ近くには伝・小野篁墓もあります。平安時代、そのあたりは蓮台野(れんだいの)と呼ばれる墓地だったそうで、文献上でも古い伝承として残っています。信憑性は高そうですが、一方で栃木に紫式部の墓と言い伝えられている場所があるそうです。どっちが本当?(…にしてもなぜ栃木??)
今夕処々他行の道すがら、堀川北大路下ル西側の小野篁と紫式部の墓所に詣でてきた。二人の墓は並んでいるだけでなく、盛り土が両者繋がっているのはなぜだろうと思った。
— 金谷譲 (@BlogJoseph) 2015, 1月 28
Doctor of Literature Tsunoda Bun’ei (角田文衛 1913-2008) first pin-pointed the grave of Murasaki Shikibu (紫式部墓), though.. pic.twitter.com/TAAsd5GC40
— Kyoto Daily Photo (@KyotoDailyPhoto) 2014, 12月 3
紫式部の墓に参って来たよ。土盛りがリアルなんだよなあ………(ーー;) pic.twitter.com/YPa3tCtjoy
— 葉っぱ (@mt_man_joe) 2014, 9月 5
●大徳寺真珠庵
出典:wikipedia
紫式部墓の近くに位置しますので、歩いていける距離です。こちらは紫式部が産湯を使ったと伝わる井戸があります。ただし、特別公開時にしか見ることはできないとのこと。ぐぬぬ、しばらく待たないといけないですね…。なお、大徳寺の近所にある「大徳寺 ふたば」さんでは紫野銘菓「しきぶ日記」という和菓子があります。旅で疲れたらやっぱり甘いものですね(笑)
#京都 雲林院の南にある和菓子屋「ふたば」さんで買った紫式部にちなむ焼き菓子「紫野銘菓 しきぶ日記」をいただいています。ムラサキ芋餡にニッキの香りが美味♪ pic.twitter.com/0dZYINIeHZ
— なぎ (@kakitutei) 2014, 9月 23
歴史に思いを馳せながら京都の各地を歩き回る。これこそ京都散策の醍醐味!という気がします^^第1回の「紫式部に会いたい!」、いかがだったでしょうか。2回目は果たしてあるのか?ではでは。
参考サイト
【日常】 京都 紫式部ゆかりの地<上賀茂神社→紫式部墓→雲林院→大徳寺ふたば→京都文化博物館> - 晴れのち平安